ミュージカル A Class Act (日本語版) 3/24/2018
A CLASS ACT|ロジャース&ハマースタイン社作品リスト|東宝ミュージック:オフィシャルサイト
東京芸術劇場で2018/3/24マチネを見てきました。
A Class Act 日本語版を見てきた。2002年のブロードウェイ版の東京公演以来、ひさびさだ。
短期の公演だが、私が見た回はほぼ満席。これは素晴らしいことだと思う。
内容もよかった。スクリプトだけでなく役者さんたちや演出も。少人数だが生オケでやったのも素晴らしい。
本邦初演、とあった。日本語では初めての公演だそうだ。
2002年のブロードウェイ版のACTシアターでの公演の入りはよくなかった。
ミュージカルを好きな人でないと、あえて行く気になりにくい作品ではある。
それを翻訳公演。かなりの苦労があったことだろう。
コーラス・ライン(英語では A Chorus Lineとしてアルファベットで最初に出てくるようにしている。これって実は結構重要で、たとえばNY Timesのブロードウェイ欄での囲み紹介で(タイトルと場所と連絡先しか書いてない)左上トップに来るわけだ。)の作詞家であるエド・クレバン(ちなみにブロードウェイ版ではエド・クリーバンと発音していた。そちらが実際らしい。ここでは日本語版に従う)の物語だ。
(以下ネタバレです。)
ストーリーは友人たちによるエドの回想シーンから始まる。彼の追悼式で、人々が彼のことについて語り、それから彼の作曲した曲を小学生が演奏するシーン。幽霊のエドは皆に語り掛け、指揮をする…。
ミュージカルの作詞作曲をしていたエドはなかなか売れない。(一時期は精神病院にも入っていた。)ワークショップの知人たちは皆ほめるが、世に認められない。そんな苦悩が描かれる。性格にはかなり問題があったことは確かなんだろう。偏執的な感じがすごくする。
そして A Chorus Line の「作詞家としてのエド・クレバン」が世に出る。そのときには、作詞をやれば次回は彼の作詞作曲の「ギャラリー」を公演してもらえるはずだった。
コーラスラインはトニー賞(ミュージカルの最高峰の賞)を獲得。彼はその時は幸せだっただろう。
だがそこからまた苦悩が始まる。
「ギャラリー」の話は流れる。そして、コーラスラインの作詞家としてのエドは求められるが、作曲家としてはあまり求められなかった。
また、彼が作詞作曲した作品は売れなかった。ブロードウェイのリアリティは厳しい。売れなければ容赦なく打ち切られる。
エドは苦悩の末に世を去ってしまう。
そして回想シーンに戻る。
人々は彼を惜しむ。
この作品自体、彼の死を惜しんだプロデューサーが作り上げたものなのだ。
この作品は、正直なところ翻訳公演が難しいものだと思う。
コーラスラインの曲を作るシーンでも、作詞と作曲を話しながら行っているが、本来なら英語で韻を踏んだりするところだ。
そこは日本語では表現しきれない。
また、いろいろな業界関係者の名前や、アーティストの名前も出てくる。ニール・サイモン、アンドリュー・ロイド・ウェバーからパーシーフェイス(!)まで。
ワークショップ、オフブロードウェイ、ブロードウェイの関係も業界を知らないとピンと来ないかもしれない。また、描かれてはいないが、音楽レーベルの力が当時は非常に強かったことも影響しているだろうし、エクイティ(ユニオン)の存在が影響したかもしれない。
その辺の困難を何とかクリアしてこの上演にこぎつけた関係者の皆さんには感謝しかない。
なお、この作品はコーラスラインと同じで、 A Class Act となっているのでアルファベットの順番ではほぼトップに来る。
ちなみに第一幕で「あなたの曲には品がある」というセリフがある。このときの使われた英単語は Class だ。
品がある作品。だから A Class Act なのだ。
翻訳でタイトルとの関係が伝わりにくいのは、ちょっと残念でもある。
と、ひさびさの舞台好きのたわごとでした。
紹介してくれた永田さん、ありがとうございました。