新入社員に聞かせる日本昔ばなし


四月になって、会社に新入社員がやってくる。
リモート入社式なんていうのも多いだろう。彼らの新人生活に幸あれ、と思いつつ、ふと昔話を書いてみようと思った。

 

僕が大学を卒業して、社会人になったのは昭和60年、1985年4月のことだ。
その4月1日に、電電公社がNTTと名前を変えた。未来を作るINSというサービスが宣伝されていたかな。
初任給は139000円だった。大企業でもそんなものだった。
これじゃあ生活できない、と思うが、そのかわりに会社の寮があった。
男ばかりの寮。
同期は200人、ぜんぶ男だったから。
当時この会社では「総合職」「一般職」というわけかたがされていて、女性は四年生大学卒業でも一般職だった。一部の商社は一般職、というのがこの会社の総合職にあたるようだったがそれはおいておいて。
総合職というのは転居をともなう転勤があるもの。一般職は補助業務が主だが転勤がない。そして制服を着ることになっている。

この年から女性の四年生大学卒業を採用するようになったんだが、会社側もまだどうしていいか手探りだった。

一般職の女性は補助、というわけで、いわゆるお茶くみとコピー取り、その他一般事務。ちなみに、僕の職場では僕にお茶が出たことはないが、課長さんとかには出されていた。仕事の一つとして、灰皿洗いがあった。

皆の机や会議室にある灰皿を洗っておくことは重要だった。ちなみに、うちの職場ではなかったが、上司が怒ると灰皿が飛んでくる、なんて話もあった。

電話はあったけど、パソコンも携帯電話もなかった。だから、基本的に書類は手書き。記録を残すものや役員に報告するなどの特別な資料については、ワープロのオペレーターさんがいた。

ちなみに、ワープロというのはワードプロセッサーのことだ。富士通、シャープその他いろいろな会社が、互換性のないワープロを出していた。ワープロのお姉さんが帰ったあとで書類をやらなければならない場合、つたない技術で何とか書類を作る人もいた。

僕の職場はたまたま海外との連絡のある部署だった。
当時、国際電話はとても高かった。20秒で100円とか。 電話は001を最初につけて掛けるのだが、002とやると、電話を切ったあとで、コールバックが来て、「ただいまの国際電話は3分20秒で2100円でした。」などという通知があった。

メールはないので、通信は基本的にFAXだった。あとは、テレックスというのもあった。これは、英文の電報みたいなものだった。

文面を、英文ワープロのWANGというもののオペレーターのお姉さんに作ってもらい、OCRの紙に特別な活字で印刷して通信した。
当時の名刺には、電話番号とFax番号以外に、TELEXの番号も載っていたのだ。

昼休みになると、職場に生命保険のおばちゃんたちがやってくる。〇〇生命◇◇営業所のの●●、という名前入りのアメをもってきて皆に配っている。

基本的にターゲットは新人とか新婚とか転勤したての人たちのようだ。星占いを作る、といって名前と生年月日を聞き出し、2-3日したら結果を持ってくる。そのあと、生保のプランも持ってくるのだ。

個人情報のどうたら、なんて観念はなかったし企業秘密といいつつ保険のおばちゃんは治外法権っぽい感じだった。ちなみに。昼休みに限らず、ヤクルトおばちゃんも回ってきていた。
僕はおばちゃんに会うとジョアを頼んでいた。大変だろうな~と思っていたから。実際は彼女はトップセールスで年収うもすごかったらしいのだが。

保険のおばちゃんは、アメ以外にも、腕時計に付ける金属板のカレンダー(わかるかな?)とか、金髪の姉ちゃんの水着のカレンダーなんかを持ってきてくれる。課長や部長の机にも飾ってあった。 当時はセクハラ、なんて言葉は無かったし。

入社早々、会社の先輩に言われた。「課長の言うことのなかで、保険をどこに、というのは聞かないでいいから。」と。 いろんな保険会社のおばちゃんから勧誘を受けたし、課長さんからもどこへ入れ、と言われたが結局自分で決めて入った。

だが、新入社員で自分のために生命保険に入るというのはいまいちぴんときてはいなかった。何となく、入るもんだ、という雰囲気に流されたわけだ。
こんなものも、給料から引かれていく。

当時、僕のいた会社には「被服融資」というのがあった。たしか8万円とか10万円くらいは、服を買うという名目で会社からお金を借りることができた。

多くの先輩が、これでカネを借りて飲み代にしていた。
週末は寮で麻雀をしていた。超インフレルールで、新人は先輩にカモられる。現金払いなら7掛けでよくて、給料日払いなら全額。 実際給料日は借金を返す日だった。払いきれない分はボーナスで清算した。

当時はセクハラなんて単語はなかった。上司が女性の部下のスリーサイズの話をするなど、日常茶飯事だった。 一泊で近所の温泉に社内旅行に行くとなると、どんちゃん騒ぎ。新人は芸をさせられる。女性は浴衣でお酌をする。
今回来た女性全員の胸を触ったぞ、と当時の役員が豪語していたのを思い出す。これ、実話なんだよなあ。

一般職は普段は制服を着ている。高卒や短大卒だけでなく、四大卒も。(四大、などといっても今の人はピンとこないだろう。短大に対応する、女性の四年生大学という単語だ。)
東大卒の女性でも当然制服を着ていた。 ちなみに、当時日本銀行に行った東大卒の女性も制服を着ていた。
当時の価値観としては、女性は短大を出て大企業に入社して結婚相手を見つけて寿退社する、というのが黄金パターンだった。社内結婚も多かった。女性のほうが優秀だったりするので、「どうせなら男が会社をやめればいいのに」という嘆きとも揶揄ともつかないコメントが、よく社内結婚のニュースとともに流れたものだった。また、結婚式の披露宴で、いきなり仕事の会議を始めるおじさんたちもいた。(数年のちに、一般職から総合職への転換制度、それから女性の総合職入社もできた。)


ついでに、お見合いもまだ結構あった。上司の娘、というのもないではないが、むしろ取引先のお嬢さんとか、取引先の親戚のお嬢さんとお見合い、なんて話は結構聞いた。
社内結婚も多く、社宅のつきあいでのヒエラルキーは奥さんの入社年次で決まるなんて話もあった。

会社が終わると上司から飲みに誘われる。断れない。飲み会でもお説教というか人生の先輩からのありがたいお話を伺ったり、単純にちょっと上の先輩のストレスのはけ口になったりした。 酔って人を殴る先輩なんかもいたし。

飲み会は一気飲みのコールがかかっていた。先輩からは「俺の酒が飲めないのか!」と言われ、飲まされる。酔って女の子に触りまくる先輩もいたりする。女の子、という言い方そのものが良くないな。後輩女子社員、というべきだろう。

二次会でカラオケに行くと、女の子(まだ言ってる)とデュエットする。部長さんとか役員さんが、女の子の肩や腰にに手を回して歌ったりする。

携帯電話なんかないので、待ち合わせをきっちりしないと会えない。駅の逆側で待っていて会えない、なんて話もよくあった。
女の子に電話しても親が出て、つないでくれないなんていう話もよくあった。
電話で彼女の母親に愛を告白しました、なんて歌のフレーズもあったくらいだ。


ほかにもまだまだ昔話はあるけど、ここに書いているのは全部実話だ。

今の新入社員には、信じられないような話も多いかもしれない。

彼ら(および彼女ら)が今の僕の年齢になるころには、彼らの今の状況も、その時の新人(だいたい、そんな一括採用制度はなくなっていそうだけど)には信じてもらえないような昔話になるのだろうか。