スマートフォンはガラパゴスを駆逐するのか?

ネット上のトンガッた人たちの多くは、スマートフォンの動きは止められない、という。
今日のWBSの伊藤さんなどもそう言っている。

だが私は必ずしもそうは思わない。
画面面積の呪縛はそう簡単には外れないと思っているからだ。

もちろん、同じコンテンツにしておいて、ユーザーエージェントの解析でページの作りを変えることはできるだろう(同じコンテンツをすべて入れ込む、という前提で配置だけ変更するようなイメージ)。

だが、それは、「ケータイによるネットの使用は、パソコンが使えない環境とか使いたくない環境のときに限る」という、30代以上の人種の考えではないか。
今の10代、20代は、物心ついたときから、といえば大げさだが、中学生あるいは高校生くらいのときからケータイに接していて、ケータイでのネット接続に全くの問題を感じない世代だ。
それこそブログの更新でもなんでも携帯でこなしていて、それが当たり前だと思っている世代。何も考えずに親指が動いている世代。

彼らからすると、ケータイの画面はそれが与件だ。それ以上でもそれ以下でもない。
その画面の大きさに疑問も抱かないし、痛痒を感じない、そんな世代なのだ。

パソコンの画面は、いろいろな情報が満載だ。だが携帯でそこまでの情報を入れる必要はない。というか邪魔なだけだ。
親指で入力するために最適化されているケータイ画面は、パソコン画面とは根本的に異なる。

同じ情報量を要求もされないし、動画や音声についての効果にしても同じものを期待されない。
ケータイはケータイ、パソコンはパソコン、ということで独自の文化圏が形成されているのだ。

今日、Q&Aのなかで、芸能人ブログがどうしてスペースが多いのか、という話題が出た。
私の思う理由は簡単だ。

それは芸能人ブログだからではない。ケータイで見ることが前提になっているからだ。

ケータイで更新されるブログの多くは、行間が離れている。それは芸能人ブログに限らない。一般のブログ、プロフもそうだ。mixiの日記をいくつか見てみれば、そういうブログが多いことに気づくだろう。

ケータイの画面では、改行しても読みやすさがあまり出ないので、行を空けるからだろう。

それの指摘が出なかったのは、やはり「PC世代」だからなのだろう。
ガラパゴスケータイで育った若者は、なかなかその文化を捨てないと思う。

スマートフォンが親指キーボード、デコメ、絵文字、ギャル文字に着うたフルなどを備えてきて、ガラパゴスと共存するようになっていけば、変わるかもしれないが。
少なくともグローバルスタンダードという掛声だけで、スマートフォンガラパゴスを駆逐するには、まだまだ時間がかかる、あるいは無理だろうと私は思っている。

ケータイは、画面が小さいことに一つの制約がある。
だが、制約があるからこそ、文化が発展する可能性を秘めているのだ。


年をとって目がかすむようになったら、ケータイで縦横の両方をスクロールして充実した情報を見ようなんて絶対に思わない。
携帯で有価証券報告書を読もうとは思わない。
フォントを飾り立てるよりは、読みやすさを選ぶだろう。

フラッシュが使える携帯サイトは読みやすい、といわれるが、作っている人間が若いことだけは確かだ。
あんなちっこい字で書かれたサイトが読めるか!と、きっと目が悪くなった私は言うだろうから。


何だかとりとめなくなってしまった。

まあ、いつもこんなものだが(笑)